岩田輸入系 777&619

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私が鳩を飼っていたのは、小学校6年から高校2年まで、再開したのは1999年44歳の時でした、子供の頃に流行していた系統といえば並河Aライン、南部、津軽、今西などの在来系でした、輸入系もシオン、バンブロアン(ファンブリアーノ)、ドルダン、アイザクソン、オペル、デルバールなどが入っていましたが当時は超長距離レース全盛の時代で粘りが重要で、長距離を帰すなら在来系、輸入系を使うにしても輸入直仔はレースに使わず代を落として使うのが一般的だった気がします。
在来の中でも一番人気だったのが岩
田輸入系でした。
1957年に第一回余市1000kで翌日帰
還、東海初の1000kを達成したのがあの「日本海号」です。

56‐44267 BC
父親
777  IF51‐SK777
アカルディ作

母親
619  MCCA50‐619
オペル作

この両親は岩田輸入系の黄金カップルと言われ日本海号をはじめ多くの優入賞鳩を出している。

日本海号の直仔には1958年3年連続となる余市1000k総合優勝58‐100566RCがいる、なお日本海号の配合

相手は日本海号の姉の子(姪)になる。

岩田氏が思い出の銘鳩として挙げている
CHフェアレディ号81B5909 BC ♀
82年 東海地区ナショナル 600k 3,294羽中  総合46位
83年 東海チャンピオン  1000k 1,252羽中  総合優勝(同腹5908は総合36位)
は777×619の70回近親である。

また777に関して岩田氏はこのような事を言っておられます。

「アカルディの777は55年生まれの濃胡麻のオスです。

頭部から胸にかけてスプラッシュがあり、片翼は主翼が6枚ほど刺が入っていましたから、羽色は大変美しく目立

つ鳩でした。が、このオスは輸送事情が良くなかったため、私どもの手に到着した時は瀕死の状態でした。

 動物好きでは人後に落ちない兄が、パンに牛乳を含ませて与えて、どうにか一命をとりとめたのです。

命はとりとめたものの777はすっかり痩せ衰え、しかも翼病から片翼が固着してしまいました。

ほとんど飛べない、せいぜい10センチか15センチの高さを昇り降りできるていどです。

 今日、健康なレース鳩は、健康な種鳩から生まれるという意見をもたれる方がおられます。

そうゆう見解の方からすれば、777は躊躇なく淘汰すべき対象になりそうな鳩でした、回復した後も筋肉はガサガ

サし、固着した翼の側の半身は削げたように痩せていた。

619は頭脳の鋭いところはあったがハナコブも小さく土鳩のような鳩でした。

当時欧米から求めた16羽の交配をする時、777と619とは最後に残った鳩同士だったのです。

期待もなかった、777は翼が固着していたため私は当時飼育していたインコ用のカゴを伏せて巣皿を入れて飼育

作出したものです、55年から作出を開始し、私が巣引きしたのは4羽のみでした。」

この岩田氏の話は私の心に深く残るものでした。

(この内容は株式会社 愛鳩の友社の出版物3×3・トリプル バイ トリプルから引用しました)